#1 金では買えない正統性
名誉は自分以外のみんなに認めてもらう必要がある / 年寄りにも「立派だ」って思えるものが名誉 / あるいは正統性と言い換えてもいい / 自分は正統性に欠いているという焦燥は非常に強烈
松田:おれは今までずっと疑問やってん。自分らの身の回りやと、大学を出て働き出したら年収数百万円くらいから始まるやん?
みなと:うん、そうだね。
松田:でも中には、むっちゃ働くことを承知でゴールドマンに行くやつもおれば、場合によっては同じくらい働きながら、相対的には薄給に甘んじる官僚もおるわけやん。
みなと:うん。
松田:それがほんまに謎やってん。あるいは外銀でもらえるといっても、人の倍働いているから倍もらえているだけであって、もしより多くを稼ぐことを考えるのであれば、もちろん期待値にはなるけれどスタートアップの方がよさそうやん。まあ知らんけどさ。
典型的なスタートアップをしている友人は、しばらく続けたもののこれ以上の成長はあやしく、とはいえステークホルダーが多すぎて極端なディスカウントでの売却も難しく、顰蹙を買わない程度の報酬をもらいながら成長の見込めない経営をこれからも続けなければいけないと嘆いていましたよ。
みなと:うんうん。
松田:自分は今まで普通の意味で働いたことがないから、人が働く動機についてもよく知らなかったし、まあ漠然とお金のために働いていると理解して、それ以上は特に考えてへんかってん。でもあたりまえやけど、人はお金のためにのみ働いているわけじゃない。しかしやはり、お金は非常に重要な動機のひとつだし、だからこそそれ以外の動機ってすごく見えにくくなってるよなって。
みなと:うんうん。
松田:で…その複雑な動機をもって、最近それを名誉って呼んでるねんな。
みなと:はいはい。働く動機の…お金以外の部分ってことだよね。
松田:そうそう。で、手近な言葉の中では名誉がしっくりくるねんけど、とはいえ一般的に用いられる名誉という言葉が指示するものとは、だいぶ違う気もしている。それについてちょっと聞いてほしくて。
みなと:うんうん。
松田:今ここで言っている意味で、もっとも分かりやすく名誉らしいものとしては…例えば商社の偉い人、彼には社用車と運転手がついてると。これっていかにも名誉っぽい。まあこれは普通の意味でも名誉って感じあるけど。
みなと:あー…僕の中で名誉っていうと、国のために戦って死にましたみたいな、そういうものかと思った。でも確かに松田のそれも名誉だね。
松田:なるほど。それでいくと…ここで名誉という言葉を使って説明したいのは、よりクレジットヒストリー的な何かやねん。
みなと:はいはい。
ここではこのように言いましたが、名誉の性質のうちそのために努力することは難しいという点を説明するものとして、この例も十分に的を得ていると思います。戦って死ぬことは結果として名誉だとしても、名誉のために戦って死ぬ人はいませんし、仮にそのような目的で戦って死んだ場合、必ずしも名誉は与えられません。
松田:大手企業で出世して社用車がつくようになる、これはもちろん一例にすぎなくて、あるいは何かの業界団体の会長である、これもやっぱり今言いたいところの名誉やと思うねん。
みなと:そうね、なるほどね。地位と名誉っていうときの名誉って感じだね。
松田:あー、そうそう。おれの言いたいのも確かにそんな感じかも。で、今挙げた2つの例は、言ってしまえばどちらも十分条件やねん。確かにいかにも名誉っぽくて分かりやすいやん。だからこれだけではまだ、名誉という言葉の内包がいまいち見えてこない。
みなと:はいはい。
松田:きっと名誉っていうのは、様々な履歴が渾然一体となった曖昧模糊としたもので、人が生きてきた結果として背後に積み上がりはするんだけれども、それを積み上げること自体を目的にするのはなかなか難しいものやねん。
みなと:それを得ようと思って直接どうにかするのはできないってことだよね。
松田:そうそう。この点が、働く動機としては収入ともちょっと違うところやねん。収入はそれ自体を目的として転職を繰り返してキャリアアップすることもできる、定量的やしね。なんだけれど…名誉はそうではないねん。
みなと:うんうん。
松田:名誉は完全に定性的で、積もうと思って積めるもんじゃない。というのも、名誉は自分以外のみんなに認めてもらう必要があるねん。自分がどう思うかはもちろん関係ないし、定量的ではないから実績に応じて半ば自動的に付与されるものでもない。言ってしまえば、自分以外の全員の、全くの恣意によって決定されるものやねん。
みなと:総理大臣、みたいなね。
松田:そうそう。総理大臣はまさにその典型で、名誉に承認を与えるみんなっていうのは、その母数がかなりでかいねん。この場でみなとと中垣が認めてくれたらおれは名誉を獲得できるみたいな、そう簡単に部分に分解できるものではないねん。名誉を承認するのは、部分に分解するにはあまりに大きいみんなやねん。
みなと:うん、それこそみんなって言葉が当てはまるくらいの集団から認められていないと、それは名誉とは言えない…
松田:そう、だから多数決みたいなものでさえない。彼は名誉に値しますか、賛成ですか反対ですか、みたいなものでさえない。一票の集合としてではなく、全員の漠然とした認識によってのみ認められるねん。
みなと:うん。
松田:何かが名誉であるとして、それに名誉を承認していると思っている人はまずいない。それが名誉じゃないと言う人は、そのアンチテーゼを強く自認している場合以外にはないと思う。
みなと:はいはい。
松田:この名誉っていうのが、定量的な動機とならんで、あるいはそれをはるかに上回って、職業選択をはじめとした人の選択を決定してると思うねんな。例えば官僚は名誉やん、これはもう明らかやん。滅私奉公ばっちこいやん。
みなと:うん。
松田:じゃあ外銀はどうなんって話で、確かに官僚と比べてその程度は劣るねんけど、スタートアップみたいなものと比べるとやっぱり名誉やねん。一般的な感覚からすると、よく分からん領域でとるべきなんかも分からんリスクをとっている人より、スーツを着て東京カレンダーみたいな生活をしている人の方がはるかに了解可能性が高い。分かりやすく立派やん、エリートって感じするもん。
みなと:うーん、なるほどね。
松田:起業では得られない名誉が外銀にはあるし、民間では得られない名誉が官僚にはある。
みなと:そうだね。
松田:これな気がするねん。どうやろ。
みなと:じゃあさ、スタートアップで名をあげたみたいな人には名誉はついてくるの? そこは確率の問題なのかな。
松田:いや、必ずしもそうではない。名誉っていうのは、ほんまにみんなから認められなあかんねん。一定成功したところで、それは金持ってるだけ。名誉にはまだまだ遠い。
みなと:あー…
松田:田舎のおばあちゃんにも分かるのが名誉やねん。年寄りにも「立派だ」って思えるものが名誉やねん。それくらいの了解可能性のある、定性的な達成じゃないとあかんねん。
みなと:笑
松田:だから業界団体って言っても…
みなと:経団連みたいなね。

松田:そう、経団連やねん。経団連との比較で、新経連にはまだ十分でない何かが名誉…あるいは正統性と言い換えてもいいと思う。正統の対義語は異端やろ、まさに異端の逆サイドにあるものが、正統であり名誉やねん。
中垣:正統派の正統やんね。
松田:そうそう。これを前に吉祥寺で青山さんと話したとき、彼は authenticity って言うてたけど、まさにそういう感じのものやと思う。それが担保されているのって、誰にとっても無視できないことな気がするねんな。
みなと:うんうん。

松田:これは、お金を稼いで使うだけでは絶対に得られない価値やねん。
みなと:金で買収した地位では…
松田:もちろんだめだし、政略結婚でも得られない…というか政略結婚がまさに名誉の存在を示唆してるな。
みなと:うんうん。
松田:それで大事なことが…今は職業選択における動機としてお金と名誉って言っているけど、より広い話として、定量的な価値と定性的な価値が人の動機として存在しているって話やと思ってもらえばいい。ほんでこの2種類の価値は、普段は一緒くたになってる。
みなと:そうだねそうだね。
松田:職業選択の動機がまさにそうであるようにね。動機の全体をお金の面から説明しようとしてもなんとなく釈然とせんし、もちろん名誉の面からのみ説明しようとしても釈然とせんやん。でも普段はそこを分けて考えずに、どちらか一方のみを参照しながら判断するねん。
みなと:そうね、うんうん。
中垣:てか昨日考えっとってんけどさ、例えば経費でタクシーとかも…新入社員数年のうちはすごい名誉やんな?
松田:あー、そうそう。いかにも名誉っぽいよ。
みなと:うんうん。
中垣:あとはオフィスビルの入館パスとかでさえね。
松田:そうそう、おれあれずっと羨ましいと思ってるもん。
中垣:なんかあれやな、特権にも近いな。
松田:大学入ってすぐのときに知り合った沖縄出身のやつの話やねんけど、その彼はおばあちゃんに「勉強ができるなら琉球大に行けばいいのに、本土に行くの?」みたいなこと言われたらしいねん。琉球大というローカルな名誉の前では、偏差値みたいな定量的なスペックなんて関係ないねん。なんかそういう感じやね。
みなと:うんうん、分かるよ。
松田:そういう名誉やねんけど、獲得の仕方は実はいろいろ存在する。さっきは経団連って言ったけど、別に商店会の会長も同じく名誉やねん。商店会には様々なお店が所属していて、そのお店には地域のお客さんと従業員がいて、ひいてはそれらの家族にもつながっていくわけやん。その中心にいる顔役としてみんなに知られている、これは…少なくともその町においては非常に名誉なことやねん。今言った全員が、無意識のうちに彼に名誉を認めているねん。
中垣:はいはい。
松田:つまり、別に直接本人がいかにも名誉じゃなくてもいいねん。例えばおれは、言ってしまえばそういう名誉をある程度は持っている。なぜなら様々な名誉に値する人が周囲にいてくれてる、これは本人が事実どうであるかを超えて、その人に名誉を付与し得るねんな。まあなんとなく正統性がありそうに見えるわけやね。
みなと:うんうん。
松田:あるいはそんなこと言わなくても、出身大学の名前だけでそれを認めてくれる人も大勢いる。名誉ってそういう感じやねん。その人に連なる、無限に枝分かれする樹形図の、その全ての末端から集められる承認って感じかな。
みなと:はいはい。
松田:そういう意味で、起業してエグジットしましたみたいなんはそれに欠けるねん。社会全体から見たときにはかなりピーキーな達成っていうんかな。これは名誉に預かりにくい。
中垣:あー。
松田:人が無意識のうちに追求する価値として、定量的なものと定性的なものが存在する。前者はシンプルで分かりやすいんだけれど、後者についてはそれを捉えるのが非常に難しい。この後者を…まあ名前はなんでもいいんだけれど、とりあえずのところ名誉って呼んでいる次第やね。ここを自分でしっかりと認識して前者から分離できると、明瞭な判断とそれに続く行動をとりやすいなと、最近思ってる。
みなと:なるほどね。
松田:ちなみに、今の話の流れやと「じゃあ学歴職歴が全てですかそうですか」って話になりそうやねんけど、そこはむしろ逆のパターンもあるねん。学生の頃、意識高いやつってみんな Creative Cloud 契約してたやろ?
中垣:あー、確かに。

松田:あれもまた別の意味での名誉とか正統性の追求やねん。要はインテリのアートコンプレックスやね、自分はデザインっぽい何かに正統性を欠いているという引け目があるねん。それを欠いたままでは何も偉そうなことは言えないし、そのためには Creative Cloud くらいは契約しとかなあかんと思ってんねん。
みなと:はいはい。
クラブに行けば「やあやあ」と言い合える知り合いがいるとか、いい感じらしいお店に出入りしてなんなら顔を覚えてもらっているとかにも、ここで言うところの名誉のようなものを感じますね。日本の経済を批判する文脈で護送船団方式という言葉が出てくることがありますが、その護送船団の内側にいることは名誉と正統性の十分な証明であり、この構造はファッションやクリエイティブみたいな業界のエクスクルーシブな空気感への批判としても、もちろん当てはまります。
松田:服とかおしゃれもそうやん。脳死で全身ギャルソンの誰かとか、マルジェラを着ていればエクスキューズになると思ってるどこぞの取締役みたいなんおるやん? あれは土建屋上がりの成金が『金持ち父さん貧乏父さん』をバイブルにして、チャートの並んだモニターをインスタにアップするのと同じやねん。自分は正統性に欠いているという焦燥は非常に強烈なんやね。

みなと:笑
松田:あと…これはもう名誉とは関係なくなってくるねんけど、定量的な目的の追求が定性的な動機とごっちゃになって最大化されていない例として…うちの近所にあるアパートやねんけど、比較的綺麗なアパートやのに、壁に山本太郎のポスター貼ってんの。
中垣:ほう。
松田:これは絶対にあほやん。自分の住んでる持ち家なら分かるけど、アパート経営してんのに、そのアパートに山本太郎にポスター貼るのはおかしいねん。入居するもんもせんくなるやろ。
みなと:笑
松田:これは特に分かりやすい例だし、その批判は誰にでもできるんだけど、これと同様のことをみんなしてるねん。例えば好きなことを仕事にするっていうのはそれに近いよね。
中垣:あー、はいはい。
松田:まあこれがはまる人もたまにはいる、NIGOちゃんとかさ。
中垣:確かに。

就活で悩んで「目黒区役所とかに勤めたい」と言っていた彼女、NIGOちゃんからのアドバイスは「好きなことを仕事にすればいいと思うよ」だったそうです。1ミリも参考になってなくてわらう。
松田:でもそのアパートは絶対に違うやん。
中垣:うんうん、そういうことか。でも政党のポスターって意外に金になったりせんのかな。
松田:そこは分からん。まあ逆にね、山本太郎のポスターを貼っていることが決め手になって空室埋まるかもしれんしね。「そういう大家を探していました」とか言うて。
中垣:庶民の味方っぽい、みたいなね笑
みなと:笑
2022年10月30日
Aux Bacchanales 紀尾井町